タイ〔リハビリ三昧!?〕旅行記

村上徳忍記 2012年1月25日

12月25日より1月5日まで、タイのチェンマイ、バンコクを訪れた。
目的は、2011年のリハビリ生活の“総決算”(仕上げ、レベル確認)である。

そもそも2011年一年間は、生活のすべてを2年前に脳血栓で失った(減じた)能力・機能を回復させる為のリハビリの機会と位置づけていた。過重の云われるくらい、めいっぱいスケジュールを詰め込んだ。
身体を使い、脳を使い、喋りまくる毎日。1日1万歩を目標に歩いた。指導先の企業の幹部の方々に東京の研究室まで出てきてもらい、ミーテイングも行った。前年に引き続いて、丸1日の出張(大阪)ワンマン・セミナーもロスアンゼルスでのセミナーもやった。

この間に自分が失った(減じた)もの(具体的な機能)がはっきりしてきた。右手の障害が一番大きいと思っていたが、これは“そんなもんだ”と考えるとそれ程大きな問題ではなかった。
体力は、徐々についてきたが、夕刻になると、疲労困憊になることしばしばであったが、十分なリハビリとしてその状況に満足すら感じた。

最も深刻だったのは、脳の機能の損傷であったが、それがどれ程度のものか、どこにどんな障害が生じるかが、脳外科の医者にも予測がつかないのである。困ったことに、失った(減じた)のがどの機能なのか、どのレベルまで回復可能なのか、医者にも分からないというのである。
必要な言葉(単語)がなかなか出てこない。しかい、これは努力で語彙数を増やせばいけそうだ。なぜかワープロの打ち間違いが努力しても一向に減らない。効果的な努力の仕方が見つからない。これは深刻だ。
話せるのに、文章の音読することが上達しない。数値は、頭の中で考えた通り言えない、覚えられない。なかなかこのメカニズム(視覚認識と口頭表現の関係)が分からない。

そんな状況の中で、私のリハビリへの原動力は、慈恵医大の安保先生の「元通りには、ならないが、リハビリさえ続ければ、機能は無限に回復するものである。」の言葉である。

このように言うと、マイナスばかりみたいであるか、実はプラスの変化もある。
部 分ではなく、全体構成に目(観点)が向くようになった。長期的モノの見方が出来るようになった。物事の優先順位(“主賓の別”)の判別が確かになった。こ のことは、コンサルィング指導に於いて目覚ましい進歩である。失ったモノ(数)より、むしろ得たモノ(質)が大きいと感じられる昨今である。

こうして、無我夢中、出たとこ勝負で、この1年間のコンサルティング実務を無難にやりおおせたのである(と自分自身は思っている)。この事実、は自信は私にとって大きいものであった。
十分とは言えないが、日本の流通業界の一隅を照らすことが出来そうだという予感(確信とまではいかないが)をえた。
そして、今回のタイでのリハビリの“総決算”(仕上げ、レベル確認)であったのである。

タイでのリハビリ・プログラムは、以下の通りである。
1.声を出して文章を読む(圏央所沢病院で用いたテキスト使用)
2.持参した小説「名もなき毒」(宮部みゆき)、「ジェノサイド」(高野和明)完読
3.ハーバード・ビジネス「リーダーの本質」完読
4.一日1万歩歩く
5.ホテルのジムで機器を使った運動

◎予想通りのこと、予想外のこと

“勝手知ったる”チェンマイ、バンコクである。チェンマイのホテルは何度か利用したことがある。
全 て予想通り、予定通りといく筈だった。チェンマイのインペリアル・メイピン・ホテルでは、ブッフェ・スタイルの朝食の内容もまずまずであり、部屋での<声 を出して文章を読む(圏央所沢病院で用いたテキスト使用)>も順調であり、近くのカフェテラスでの読書を快調、快適であったが・・・・。

○チェンマイの気候
この時期のチェンマイの夜明けは遅い。7時過ぎに明るくなる。陽が昇るまでは予想外に寒い。一端、日が照りつけ始めると、灼熱の太陽である。
日中1万歩を目指して日蔭のない道路を歩き続けて日射病になりかけた日もあった。
この寒暖の差がこの時期は要注意である。
夜は、ホテルの近くのナイトバザール(1キロ以上の露店街が毎日にぎわう)が深夜2時位まで寒くなく過ごせる“宵っ張り”向きの気候なのだ。
一方、バンコクは、真夏(酷暑)である。ペットボトルを持たずに遠出は危険だ。バンコク市内は、洪水の跡かたもないが、郊外にあるゴルフ場は、8割がた冠水してプレイ出来ないらしい。

○食事事情あれこれ
ホ テルは朝食付きなので、朝食はホテルでとる。ブッフェ・スタイルであるが、まずまずのバラエティ(内容)である。洋食メニューと中華メニューとタイ・メ ニューである。お粥もうれしい。この時期は、果物が少ないのが残念だったが、私の好きなクアバ・ジュースがあったのが満足。
タイ式コーヒー(甘あい!)もあり、これは目覚めによい。
昼食は、1万歩チャレンジの途中で立ち寄るレストランで済ます。無難を期して“チャーハン”(200バーツ~300円~)が基本だ(これがなかなかいけるのである)。
旅行ガイド書〔チェンマイ満腹食堂〕~ウソなしレストラン・ガイド~には、がっかりだった。紹介の2件を訪ねたが、2件とも別のレストランに模様替えされていた。なおかつ、1件は、1時間半かけて歩いて探し当てたのに、1時過ぎに着いて3時オープン!だった。
このピン川沿いの新築レストランを中に入って写真撮影していたら、たまたまいた若いレストラン・オーナーが私の事情を聞いて、車でホテルまで送ってくれた。これぞタイ・スピリットである。
夕食は、ナイトバザールに隣接したアウンサン市場の生鮮魚類が売り物の食事処が一番だ。
店 頭の冷ケ-ス(氷山盛り)の中にエビ、ロブスター、鮮魚各種が埋っている。それを指名して、調理方法を指定して、食べるのだ。ロブスターは、値段が張る割 には食べにくいし、身も少ない。私のお気に入りは、魚丸ごとのから揚げだ。これとご飯(ステイーム・ライス)である。付け合わせの野菜も揚げてくる。これ は、身と骨がはがれやすく、醤油味のたれに付けて食べると絶品である。これが500~600円で毎日でも飽きない。
バンコクでは、都心のホテルなので、デパートのなかの日本食レストランになる。全く、日本と同じ味で、ただ安いだけだが安全である。

○発見、体験、受難
この旅では、いろんな発見、いろんな体験、受難があった。

☆ 成田からバンコクへの機中、隣の席の私の同年輩の男性が気になった。身のこなしが同病体験者のように思えたのだ。バンコクへの旅程半ば頃、思い切って声を かけてみた。「大変失礼ですが、“同病体験者”ではありませんか?実は、わたしは“脳梗塞体験者”でして・・・・」その方は「おっしゃる通りです。わたし も最初から様子を見てそうではないかと思っていました。」
それから互いに自己紹介やら病歴(いつ、どこで発病した~この病気の場合は倒れたかである~、その時の状況は、ここまでの回復のプロセスは・・・)を交換し合った。
A 氏(仮にそう呼ぶ)は、偶然にも私と同い年だった。宝石商であり、50代半ばの頃出張先の香港で倒れたそうである。従業員が10数人いたので必死にリハビ リに励み現役復帰を果たしたそうである。表面的な後遺症状は、右足で杖を持っておられた。情報交換から推測すると、相当重い症状から今日の状態まで回復さ れたようだ。今回の旅行は、仕事と休暇を兼ねて奥さまも後から合流され、ゴルフを楽しむとのことであった。飛行機を出たところに車椅子が待っていて、入国 審査も並ばないで済ませる。私はチェンマイに乗り継ぎなので途中で別れた。

☆帰りの機中の席は、中央通路側で仕切りの一番前と言うエコノミー・シートの最良の席で、しかも真ん中のシートが空きというラッキーに恵まれた。ほぼ満席でこれはめったにないことである。
私のシートの逆サイドの“ラッキーマン”は、タイ人らしい体格のいい大学生風の男性であった。
分厚い本の辞書を開いてノート作りをしっぱなしだった(食事以外の時間は)。
私が注目したのは、彼の筆記具(ボールペン)の持ち方である。
ほとんど“わしづかみ”である。よく見ると、薬指と小指を内に折り曲げている。その持ち方で綺麗な字を素早く書くのである。
私 は、病気の後遺症の為、右手での文字書きに苦戦している。本来の持ち方にこだわらなければ、あれでいいのだ!凄い発見だった。ちなみに日本では、彼のよう な変則的な持ち方は、生き残らない。幼稚園、小学校で矯正されてしまうであろう。病院の作業療法士は、道具を工夫する。持ち方を工夫する方が早いかも知れ ない。食事の食べ方も箸、スプーン、フォークの持ち方よりもいっそ“素手”に食べることを許してもらえたら有り難い。インド流でいいではないか!

☆タイ〔おかま〕事情
タ イでは〔おかま〕が市民権を得て、一般社会に同化していると巷間伝えられている。実際は、どうなのか。私はその道の研究者ではないので、事実誤認、認識違 いは悪しからずご容赦願いたい。バンコクの街中では、一般社会に同化しているのでどの人が〔おかま〕なのか判別つかない。
過去に、“アジア通の” 娘とバンコクを訪れた時のこと、泊まった安宿のカウンター従業員の一人が〔おかま〕だった。娘に耳打ちされて彼(服装は男装)を注目すると、身ぶり、手振 り、口のきき方が、女性従業員より“女性的”なのである。その場では、私は苦笑しながら見ていたが、周囲のタイ人、従業員は全然違和感なく彼に接してい た。その旅で、都心の百貨店を訪れた時、売場に正装の絶世の美人の女性客を見かけた。見とれていると「お父さん、あの人は〔おかま〕だよ。」と娘が云う。 つまり、素人には、判別出来ないのだ。
今回の旅でも、2度〔おかま〕を見かけた。1度目は、チェンマイのアウンサン市場である。大道芸人の中に太った〔おかま〕がいた。日本のテレビ芸人と“瓜二つ”でビックリした。
2 度目は、バンコクの一流テパートである。お土産にタイ・ブランドのナチュラル化粧品を指定されてその専門店を目指し探し当てた。この従業員が〔おかま〕氏 だった。見かけは女店員である。しかし、側によると身長が異様に高い。私を笑顔で見下ろす。手が大きく節くれだっている。声が野太い。しかし、応対は、女 性以上に“女性的”で、気配りもきく。日本からの観光客の女の子なら即ファンになるかもしれない(それほどの好印象であった)。

☆受難
油断をしつもりはなかったが、帰国2日前に腹の調子を悪くした。
チェンマイでは、食域を広げて楽しんだが、バンコクに入ってからは、用心してデパートの日本食レストランを利用していたのにである。
その日、急な便意で目を覚ました。激しい下痢である。正露丸を飲んで様子を見たが、度重なる下痢でたちまち胃と腸の中はからっぽ状態となった。吐き気もあり、朝食後の日本からの薬も飲めない。ホテルの朝食はスキップして、ベットに横になり様子を見ることにする。
前夜の夕食は、隣接するデパートのインストア・ベーカリーでシナモンロールを買ってきてそれですませた。何か食あたりする様なものは口にしていない筈だ。
それにしても、脱力感がつよい。
そ こでホテルのフロントへSOSコールを思い立った。私は病後、英語を話すことが全くと云っていい程に出来なくなっている。従って、云うべきことをあらかじ め用意しなければならない。「キャン・エニワン・スピーク・ジャパニーズ?」その応えは「ノー」だった。日本語の話せる従業員が来たら部屋まで電話してく れ、と伝えたつもりだったが、電話が来ない。
この間1時間。気力を鼓して、再度フロントに電話を試みる。日本語の話せる医者に電話をつないでく れ、と云ったつもり。10分後に電話が鳴った。医者らしき男からである。この医者は、英語しか話せない。電話越しの聞き取りにくい英語の言葉の間に[下 痢]と[吐き気]を聞きとれた。最後に1時間位でホテルに医者が来る、と云ったように思えた。
待っている間も“空振り(実弾なし)の”下痢と吐き気でベットとトイレを行き来する。
1時間後、部屋の扉をノックする音をベットで聞いた。フロントの従業員が様子を伺いに来たのか、ベット・メイキングに来たのかと推測。
ドアを開くと、30歳半ばのタイ人の男性が立っている。一言で言って“場違い”な男である。長身、ハンサム、ジーパン、赤のカッターシャツ、髪型はタイでの流行りの“ベッカム”。手には日曜大工の工具入れ風のケースを下げている。
よく見ると、首に聴診器を下げている。「アー・ユー・ドクター?」、「イエス」、「ウエル・カム!」
これで、状況好転!
言葉はよく通じなくても、触診、手真似でコミュニケーション。
薬を処方してくれた。朝、昼、晩の食前、3時間ごと、5時間ごとと大量に3日分もらった。
料金は、5000バーツ(1万数千円)だった。「キャッシュ・オア・カード?」と医者が聞く。
カードでも支払いが出来る!カード処理の端末持参だ。
最後にプラスティックの名刺をくれた。〔ドクター・デリバリー、一流のドクターが伺います。24時間対応、電話はこちらへ*****〕マンガチックでカラフルな名刺。
その日が、精神的には落ち着いたが、症状に変化なし。薬のせいか、ペットボトルの水も不味い。
お腹の中には、薬の水だけである。
タイの錠剤は大きいのが多い。飲む種類も分量も多い。私の場合が、従来の3食後の薬が加わる。タイの3食前の薬、日本からの3食後の薬、3時間ごとの薬、5時間ごとの薬、しかも3時間、5時間は、医者が来た時間から始まるのである。
2日目、明朝は5時チェックアウトで空港へ向かう。しかし、体調は戻らない。
不安と共に善後策を考えた。帰国後の翌日の指導先とのミーテイングは、キャンセルの電話を入れた。体調が回復しなくても予定の飛行機にはのることに決意した。荷物は、休み休みスーツケースに詰めた。出国、入国書類を整えた。
読みかけの小説「ジェノサイド」は、佳境に入ってきているが、読む気力もない。
体調回復の期待は、秒読みの段階に入った。タイ人の若い医者(ベッカム頭のハンサム・ボーイ)を信じるのみ!

夕刻、腸がぐるぐると動いた気がした。吐き気は収まっていた。ホテルがチェックイン時に置いていったリンゴを無性に丸かじりしたくなった。2等分して、かじった。2日ぶりの固形物である。汁だけ飲んでカスは吐き出した。
不思議と身体に生気が戻ってきた。翌朝、27階の部屋からスーツケースを転がし、1階のフロントで“何事もなかったように”チェックアウトして、予約しておいたハイヤーで空港に着いた。
なお、2回の機内食は、半分程食べることが出来た。

今回のリハビリの旅は、概ね予定通りだった。最終の2日間のアクシデント(不運)があったが、全体の成果は予想以上に大きかった。次回のプログラムへは、今後のリハビリ成果を期してゴルフを入れたい。勿論、食べ物、飲み物には、細心の注意 !!

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