負け犬の遠吠え(村上徳忍のエッセイ新①)

夢と理想と現実の狭間(はざま)

今、「新世界」と云う小説を読み始めたところである。著者(柳広司)が、ミステリー作家とも知らず場面設定のロスアラモス国立研究所(ニューメキシコ州)の原子爆弾の開発最終実験のイントロ部分を読んだところで、その深さを感じこの文庫本の解説を読んだ。そこで、これがミステリー小説であることを知った。この解説(有栖川有栖)が秀逸であった。
新聞、雑誌の程度の悪い書評にはしばしば興ざめさせられるが、文庫本の解説は程度が高いものが多いが、この解説極めて上質であった。
著者が、このミステリーの舞台を原子爆弾の開発目的で設立されたロスアラモス国立研究所(ニューメキシコ州)にしたきっかけを紹介している。
著者が原爆を扱った「コペンハーゲン」のいう三人芝居を見て、「それは違うだろう」と思ったこと。被爆国と人間として、容認出来ないことがあったのであろうと解説者は推測する。
解説者は続ける。「謝罪しろ、保証しろ」とアメリカに拳(こぶし)を突き出さずとも、ただ、後悔を求めたい、と・・・。解説(者)はこうありたい。

原子力発電所に関しての小泉元総理の発言が論議を呼んでいる。
この発言に対して、安倍総理が「その発言は無責任である」と反論したとの報道を聞いて(見て)、この報道は本当の発言を“ねじ曲げた”ものであろうと思っていた。しかし、当の本人(安倍総理)が喋っているVTRを見て本当だと知って愕然とした。
「その発言は無責任である」であるとは、どういうことか。あるべき姿、理想を自論として発言することが“無責任”とおっしゃる総理ご自身は、日本を理想の国に(世界から尊敬される国に)向かうことを諦めていることを“白状”したということか。
なんで、「傾聴すべきご提案である」と受けられないのだろうか。日本には、こういった意見、考え方も存在すると言うことが、国際的にはプラスになると理解出来ないのであろうか。
取りあえずの対応としての“3本の矢”もよいだろう。しかし、「取りあえず」しかない総理大臣を戴いている国民は不幸である。
そう云えば、最近の国政も日本経済も「取りあえず」主義に見えてきて薄ら寒い心地である。
この度の小泉発言は、元総理大臣としての“憂国発言”と受け止めるべきであろう。

<2013年11月6日 徳忍記>

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