負け犬の遠吠え(村上徳忍のエッセイ新②)

〔老後〕談義

◎ 〔老後〕とは何ぞや

わたしが、ビジネスの世界に身を於いていたときに身につけた問題発見・問題解決のいくつかの方法論の前提(共通の入り方)がある。
それは、問題・課題(取り組みのテーマ)を定義することである。
問題・課題が解決されないのは、「取り組みのテーマ」が定義されていない、つまり、何が問題・課題なのかわからないのだ。
定義されると、初めて実務論が始まる。

〔老後〕という言葉を昨今たびたび耳にする。この無責任な言葉は、なんとかならないものか。50歳台後半から70歳台の人間(特にサラリーマン)は戸惑う。
自分は、「老前」なのか、「老中」なのか、「老後」なのか。どのように身を処するべきなのか。このような不安感を抱かせることを無責任というのである。

◎ ハッピー・リタイアメント

日本が見本を求めるアメリカの実態は如何なものか。友人のアメリカ通に聞いてみた。
ゴールデン・エージ(65歳以降)とかハッピー・リタイアメントという言葉があるが、これはアッパー(上流)、アッパー・ミドル(準上流)階層の話しであって、概して米国では、“可哀想な”年寄りが目立つという。
ハッピー・リタイアメントは、アメリカでも“理想、憧れ”の言葉のようだ。

しかし、この“可哀想な”の感想は日本人の価値観であろう。アメリカは、所得別に住むエリアが違うから、同一地域の家庭は似た様な生活レベルなので、彼ら同士はちっとも可哀想ではないのである。
ウオルマートの店舗の入り口付近には、“グリーター”という職種の社員(パートタイマー)がいるが彼ら(彼女ら)の年齢は70〜80歳台であった。
フロリダのスーパーマーケット〔パブリックス〕で見かけた品の良い宣伝販売員は81歳であった。みんな矍鑠としていて“可哀想”ではなかった。
勿論、彼ら(彼女ら)は生活費を稼いでいるのであろう。
<ひとそれぞれに“ハッピーを演出する”ハッピーな国アメリカ!>のようだ。

◎ 〔老後〕は、マスコミ言葉で実態はない!

結論として、アメリカには〔老後〕という言葉(考え方)はないとわかった。
私は、70歳にして〔老後〕という言葉の存在を断じて認めない。
私自身、今が最も充実しているからだ。そのように人生を仕組んでいるからだ。

サラリーマン諸氏(ポスト・サラリーマン諸氏)に訴えたい。会社が決めた(社会が決めた)定年を無視せよ。働きたかったら新たな仕事見つけ、前職より楽しむことだ。
マスコミ(訳知り顔で語る自称“専門家”)にだまされてはいけない。「このように働けば、月6万円になります・・・」何を考えて、こんな“貧しい”話しをしていくのか。
この収入の意味は、金額分だけ(それ以上)社会に貢献しているということは、重要なのだ。その職場で若い人たちに自分のこれまでの経験談を分けてあげることだ。
収入が少ないが(無いが)、これまでの経験を社会に提供する(それを続けるために別に働く)となったら、格好いいではないか。

この時こそ、思いのまま生きようではないか。
“小金”が収入として手元に入ることは、サラリーマンで人生の大半を過ごしてきた人にとって、実社会との接点を持っている実感を持てて精神上良いようだ、取り分け奥さんとの人間関係維持に良いそうである・・・・。

2013年11月28日(徳忍記)

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