The Daily Drucker  ドラッカー365の金言(徳忍の学習帳)

<5月26日「知識労働の仕事の定義>  〜9月15日〜

《知識労働の質の評価は至難と思われる。だが、現実は案ずるよりも産むが易しである。》

この項を学びながら、ドラッカーの“例え”による解らせ方の見事さをいまさらながら感じ入った次第です。

<高度の知識を必要とする知識労働において、すでにわれわれは仕事の質を測定している。
心臓手術など難度の高い手術については、成功率によって外科医の腕を測定している。
だが、問題は測定にあるのではない。そもそも仕事が何であり、何でなければならないがを明確に定義できないことにある。>

わたしたちは高度の知識を必要とする仕事の測定に成功しています。
上記の例ですと手術の「成功率」を用いてまんまと成功したのです。
実は、そこに“落とし穴”があったのです。
高度の知識を必要とする仕事は、「成功率」を使って測定できたのですが、評価には“測定”にたよるだけが方法ではないとドラッカーは諭します。
《評価する⇒測定する》をいう短絡的発想を正してくれました。
《評価する⇒定義してみて、違いを知る》という方法です。
ドラッカーの真骨頂である“わかりやすい「例え」で・・・。

<アメリカの初等教育の事例である。
都市部の公立校がひどい状況にある。その公立校のすぐ隣りに、同じような子供を相手にしながら立派にしつけをし、学ばせている私立校がある。
違いの原因についてはさまざまなことがいわれている。
だが、最大の原因は仕事の定義が異なることにある。
公立校では、恵まれない子を助けることを仕事にしているのに対し、私立校とくにカトリックのミッション・スクールでは、学びたい子が学べるようにすることを仕事としている。>

目から鱗が・・・の「例え」です。ここでドラッカーは、高度の知識を必要とする仕事については「成功率」のような効率指標で「測定」する方法を用い、一方、それほど高度の知識を必要としない知識労働には仕事の「定義」をして比較することを提案しています。

<公立校では「失敗」を基準としているのに対し、私立校では「成功」を基準としている。>

「助ける」と「育てる」の違いでしょうか。《「負」を減らす試みと「正」を増やす試み》と“勝負”でしょう。

この項は、『明日を支配するもの』〜1999年〜からの引用です。

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