[2015年03号]   来るべき時代を支えるであろう概念(考え方) 《社会的共通資本》

《社会的共通資本》

新しい21世紀の展望の展望を開こうとするとき、もっとも中心的な役割を果たすのが〔制度主義〕の考え方である。
〔制度主義〕とは、資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現するものである。

〔制度主義〕の考え方はもともと、ソーステイン・ヴェブレンが、19世紀の終わりに唱えたものであるが、100年以上も経った現在にそのまま適用される。

〔社会的共通資本〕は、この〔制度主義〕の考え方を具体的なかたちで表現したもので、21世紀を象徴するものであるといってよい。
〔社会的共通資本〕は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することが可能とするような社会的装置を意味する。

<〔社会的共通資本〕の実際は、3つのジャンルに整理される>
□自然環境  □社会的インフラストラクチャー  □制度資本

□ 自然環境
*大気 *森林  *河川  *水  *土壌

□社会的インフラストラクチャー
*道路  *交通機関  *上下水道  *電力  *ガス

□制度資本
*教育  *医療  *司法  *金融制度

〜社会的共通資本と考え方〜

○ 社会的共通資本は、社会的装置である

○ 社会的共通資本は、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営される。

○ 社会的共通資本は、あくまでの、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められるものである。

○ 社会的共通資本は、いいかえれば、分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような制度的諸条件である。

○ ヴェブレンの制度主義の思想的根拠は、社会的共通資本は、アメリカが生んだ偉大な哲学者ジョン・デユーイのリベラリズムの思想にある。

○ 社会的共通資本は、決して国家の統治機構の一部

○ として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象のして市場的な条件によって左右されてはならない。

○ 社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとずき、職業的規範にしたがって管理、維持されなければならない。

〜日本の世紀末〜

○ 学校教育分野
:非人間的、非倫理的な受験地獄を生み出した現行の大学受験制度の矛盾
:その根本には、学校教育を、社会的共通資本として社会にとってもっと大切なものと考えないで、市場的基準を無批判に適用して競争原理を導入したり、あるいは、国旗・国歌を法制化し、教育勅語の精神を復活させ、官僚的基準にしたがって学校を管理しようとする一部政治家たちの考え方が、このような悲惨な現状を生み出したといっても過言ではない。

○ 地球温暖化問題
:20世紀末を象徴する問題は、地球温暖化、生物種の多様性の喪失などに象徴される。
:大気という人類にとって共通の財産を産業革命以来、とくに20世紀を通じて、粗末にして、破壊し続けてきたことによって起ったものである。

〜〔社会的共通資本〕の考え方〜

○ レールム・ロバルム(時のローマ法王の回勅)
:ローマ法王ヨハネ・ポウロ二世1991年に出された〔新しい回勅〕に
「社会主義の弊害と資本主義の幻想」と予言的お言葉があった
:人々が理想とする経済体制は何か
:ソーテイン・ヴェブレンのいう「生産倫理」を貫くことはきわめて困難になってきた。利潤動機が常に、倫理的、社会的、自然的制約条件を超克して、全体として社会の非倫理化を極端に押し進めていったからである。と同時に、投機的動機が生産的動機を支配して、さまざまな社会的、倫理的規制を無効にしてしまう傾向がつよく見られるようになってきた。

〜〔制度主義〕と〔社会的共通資本〕〜

○ ソーステイン・ヴェブレンのいう〔制度主義(Institutionalism)〕の考え方がもっとも適切にその基本的性格をあらわしている。私たちが求めている経済制度は、一つの普遍的な、統一された原理から論理に演繹されたものでなく、それぞれの国ないし地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくりだされるものだからである。
〔制度主義〕の経済制度は、経済発展段階の段階に応じて、また社会意識の変革に対応して常に変化する。

○ アダム・スミスは、民主主義的なプロセスをつうじて、経済的、政治的条件が展開されるなかから最適は経済制度が生み出されることを主張した。

○ 〔制度主義〕の経済制度を特徴付けるのは、〔社会的共通資本(Social Overhead Capital)〕と、さまざまな社会的共通資本を管理する社会的組織のあり方である。

○ 〔制度主義〕のもとでは、生産、流通、消費の課程で制約的になるような希少資源は、社会的共通資本と私的資本との二つに分類される。
社会的共通資本は私的資本と異なって、ここの経済主体によって私的観点から管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、社会的に管理、運営さ
れるようなものを一般的に総称する。
社会的共通資本の所有形態はたとえ、私有ないしは私的管理が認められているとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されるものである。

○ 〔社会的共通資本〕は、土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの資源環境だけでなく、道路、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、金融、司法、行政などいわゆる制度資本も含む。

〜〔社会的共通資本〕の管理、運営〜

○ 〔社会的共通資本〕は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとずき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるということである。

○ 〔社会的共通資本〕の管理、運営は決して、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。

○ この原則は、〔社会的共通資本〕の問題をえる時、基本的重要性をもつ。

○ 〔社会的共通資本〕の管理、運営は、フィデユシアリー(fiduciary)の原則に基づいて、信託されているからである。

○ 〔社会的共通資本〕は、そこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足にさいして、重要な役割を果たすものであって、社会にとってきわめて「大切な」ものてある。

○ 〔社会的共通資本〕の管理を委ねられた機構は、あくまで独立で、自立的な立場に立って、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって行動し、市民に対して直接的に管理責任を負うものでなければならない。

○ 政府の経済的機能は、それらの間の財政的バランスを保つことができるようにするものである。

○ 制度主義経済体制における政府の経済的機能は、統治機構としての国家のそれではなく、すべての国民が、その所得、居住地などの如何に関わらず、市民の基本的権利を充足することができるようになっているかを監視するものでなければならない。

《市民の権利と経済学の考え方》                           〜資本主義と市場経済〜

○  資本主義に制度的特徴はいうまでもなく、資源配分と所得配分とが市場機構を通じておこなわれることである。

○  すべての財・サービスの生産および消費が私的利益の追求を目的として行われることである。

○  すべての財・サービスの生産および消費が私的利益の追求としておこなわれ、市場を通じて交換されるというのが市場機構の意味するとことである。

○  したがって、資本主義はどのように機能し、どのような問題点を内蔵いているかは、市場経済制度の働きと密接な関係をもつ。

○  純粋な意味における市場経済について、その制度を前提として一つあげなければならないのは、生産・消費の過程で必要となってくる希少資源がすべて原則として私有されていて、その交換が市場を通じておこなわれることである。

○  それぞれの所有者ないし管理者の私的な利益追求の対象となっていることが、市場経済の制度的前提である。

○  各生産主体は、自らの利潤がもっとも大きくなるような生産計画をえらび、それに応じて生産要素を雇用あるいは購入し、生産物を市場に供する。

○  各消費主体は、自らの効用がもっとも高くなるように、財・サービスの購入計画を立て、自ら所有する生産要素ないし稀少資源の供給をはかる。

○  市場経済を構成するさまざまな経済主体の間の相反する行動は、市場における交換の過程を通じて調整される。

○  政府または第三者による強制によって行われるものではないということが、市場経済制度のもっとも重要な特徴である。

○  市場経済制度のもとでは、所得分配もまた市場的メカニズムによって決定される。

○  各経済主体が所有している生産手段の希少性が高く、したがって市場価格が高いときには、その所得は大きなものとなる。

○  失業という状態は、労働者がもっている労働に対する市場価値がゼロとなってしまう場合である。

○  そのような状況のおかれた労働者の所得がゼロとなるのは、市場経済制度のもとではむしろ正常な状態である。

○  所得はきわめて低く、生存すら保証されないような労働者に対して、何らかのかたちで所得保証を行おうとすると、市場機構に基づく資源配分の効率性を損なうことになってしまって、望ましくないというのが、新古典派の主張するところである。

○  このようにして、生産手段の私有制を前提とする市場経済制度のもとでは、効率的な資源配分を実現することが可能となっても、所得分配に関する公正性を期待することはできない。

○  私有財産の相続を前提とする資本主義制度のもとでは、市場機構に基づく資源配分のもたらす分配の不公正ないし不平等は、たんに現代の世代だけでなく、将来の世代にわたる所得分配を考えると、拡大される傾向をもつ。

○  市場経済制度のもとにおける所得分配が不公正ないし不平等なものであり、それはまた世代間を通じて加速化される傾向を持つということはもちろん、早くから指摘させていた。

○  世界の多くの資本主義国で、このことは大きな社会的、政治的な問題となって、累進所得税、相続税などの制度が導入されて、所得分配の不平等化を防ぐという処置がとられてきた。

○  しかし、資本主義制度に内在する所得分配の不公正、不平等は、このような所得の再分配政策を通じて解決し得ないものであるということが次第に明らかになってきた。

〜経済学の考え方と市民的権利〜

○  新個展派の経済理論は、市場経済制度のもとにおける資源配分のメカニズムを理論的に分析しようとする。

○  資源配分の効率性にのみ焦点を当てて、所得分配の公正性という側面はほとんど無視してきた。

○  新古典派理論の基礎には、市民的自由にかんする政治思想があって、住居、職業の選択の自由、思想・信仰の自由などという市民的自由をもっとも効率的に実現できる経済制度こそ市場経済制度であるという考え方が、その背後に存在する。

○  分配の不公正という側面にはまったく触れようとしなかったのと、政府の役割は、私有制を維持し、公正で完全競争的な市場制度を運営するという点に焦点が置かれていた。

〜新古典派の虚構〜○  新古典派理論は、純粋な意味で市場経済制度という虚構を構築して、その枠組みの中で、理論的、倫理的演繹を試みた。

○  三つの理論的前提

⑴稀少資源は私有制である

⑵すべての生産要素がマリアブル(自由に、瞬時に、何ら費用をかけずに、移動できる)

⑶資源配分の効率性のみ問題として、所得配分の公正性については問わない

○  現実は、新古典派理論が想定しているような理想的状態から大きく乖離するものとなった。

〜市民の基本的権利の拡大、大恐慌、ケインズ経済学〜

○  政府は完全雇用を実現するために必要な経済政策をとるとともに、所得の再分配政策を通して、市民の生存権が保証される処置を要請されることとなる。

○  そして、1930年に起った大恐慌である。

:1932年、アメリカのは全体で25%、工業部門のみに限定すれば37%強の失業率であった。

:金融機関の倒産件数は一万件を超え、アメリカの金融制度はほとんど壊滅したに等しかった。

○  市場経済制度のもとで、自動的に完全雇用が実現し、稀少資源の効率的な配分がもたらされるという新古典派理論の神話もまた同時に壊滅した。

○  1936年〔雇用・利子および貨幣の一般理論〕ケインズ著が刊行された。

〜ケインズ理論〜

○  資本主義的な市場経済制度の下では、完全雇用をもたらす自律的なメカニズムは存在しない。

○  非自発的失業が発生するような状態がむしろ「一般的」である。

○  市場経済制度を前提としながら、「完全雇用」、「物価安定」という経済目標を達成するためにはどのような「財政、金融政策」をとるべきかを論じた。

○  政府の経済政策は、有効需要の大きさに影響を与え、この有効需要を適切に操作することによって、完全雇用を実現することができると考えた。

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