The Daily Drucker  ドラッカー365の金言(徳忍の学習帳)

《 11月18日〔 階層と平等 〕 》 〜2015年5月29日〜

〔階層の終わりなる言葉を耳にする。あきれた馬鹿馬鹿しさである。〕

上下関係の存在を根拠としてなされる情緒的平等主義者による産業社会批判は、産業と社会への無理解以外の何ものでもない。
社会的な目的のためにともに働くことを必要とするあらゆる機関と同じように、企業も階層を必要とする。
そこでは、社長から掃除人にいたる全員が同じように必要とされる。

しかし西洋社会では、機会の平等は実現しなければならない。
それは人間の尊厳にかかわるキリスト教の伝統に立つ正義の要求である。
新しいことは、今日その正義の実現は、現世では産業の領域において求められるようになったという点だけである。

平等とは、往々にして誤解されるような結果の平等ではない。
逆に、それは必然的に結果の不平等を招く。
まさに正義のコンセプトは、報奨には、同等ではない仕事ぶりを反映した差のあるべきことを要求するからである。

【解説】

民主主義社会において階層は悪(必要悪)なのでしょうか。
私は、社会において“”階層“と”権威“の有効性を信じる(実感する)ものです。
階層問題と平等問題は、次元の異なるテーマではないでしょうか。
平等は、人間の尊厳とレベルで考えないと、まさに“悪平等”を世界に陥ります。

(2015年5月29日10:30徳忍記)

この項は、『企業とは何か』〜1946年〜 からのものです。

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