《良書で学ぶ!》〔白隠禅師座禅和讃〕(第五講)

【徳忍学習帳】で一節ずつ、原田先生の講義で学び、読み込み、
徳忍が感想を添えます。

書名

〔白隠禅師座禅讃講話〕
〜白隠禅師座禅和讃〜

《第五講》

〜本文〜

《これまでの文》

 衆生本来佛なり(しゅじょうほんらいほとけなり)水と氷の如くにて(みずとこおりとごとくにて)
水を離れて氷なく(みずをはなれてこおりなく)衆生の外に佛なし(しゅじょうのほかにほとけなし)
衆生近きを知らずして(しゅじょうちかきをしらずして)遠く求むるはかなさよ(とおくもとむるはかなさよ)
譬えば水の中にいて(たとえばみずのなかにいて)渇を叫ぶが如くなり(かつをさけぶがごとくなり)

《本日の文節》

長者の家のことなりて(ちょうじゃのいえのことなりて)
貧里に迷うに異ならず(ひんりにまようにことならず)

<解説>

 「衆生(昔流に云えば、民・百姓)」の中にいて、「佛は何所におわします?」と叫んでいるのは、お金持ちの家に生まれたのに、貧しい待ちをさまよっているのに似ています。
 幸せを求めて、さまようことの本質は、「幸せとは何か」が解らずさまよう訳ですが、今の世の中でも、ほとんどの人々は解っていないのです。上の《お金持ちの家に生まれたのに、貧しい待ちをさまよっている》例も、お金のない人は、お金のあることが幸せと誤解しているので、このような事例になるのでしょう。ただし、白隠の江戸時代の経済状態(社会情勢)を今日と同じに考えるのは間違いでしょう。
 白隠は、自分の周辺の人々の中に仏性を探すことを勧めます。このやり方は上手なやり方です。座禅で一人坐って考えるよりも、他の人と接して、その人の立ち居振る舞い、言動の投影した自分探しをするのです。〜以下次回〜(徳忍記)

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