《良書で学ぶ!》〔白隠禅師座禅和讃〕(第六講)

【徳忍学習帳】で一節ずつ、原田先生の講義で学び、読み込み、
徳忍が感想を添えます。

書名
〔白隠禅師座禅讃講話〕
〜白隠禅師座禅和讃〜

《第六講》

〜本文

《これまでの文》

衆生本来佛なり(しゅじょうほんらいほとけなり)水と氷の如くにて(みずとこおりとごとくにて)
水を離れて氷なく(みずをはなれてこおりなく)衆生の外に佛なし(しゅじょうのほかにほとけなし)
衆生近きを知らずして(しゅじょうちかきをしらずして)遠く求むるはかなさよ(とおくもとむるはかなさよ)
譬えば水の中にいて(たとえばみずのなかにいて)渇を叫ぶが如くなり(かつをさけぶがごとくなり)
長者の家のことなりて(ちょうじゃのいえのことなりて)貧里に迷うに異ならず(ひんりにまようにことならず)

《本日の文節》

六趣輪廻の因縁は(ろくしゅりんねのいんねんは)己が愚痴の闇路なり(おのれがぐちのやみじなり)

<講義>

仏教では、迷妄暗黒の世界の極みから、明白解脱の極みまでを、仮に十界に分けて説明しています。
即ち「地獄」、「餓鬼」、「畜生」、「修羅」、「人間」、「天上」、「声聞」、「縁覚」、「菩薩」、「仏」の十界です。そして、初めの六つの世界を以て迷いの深浅を現しています。
 さて、人間は六つの迷いの世界を、浮きつ沈みつさががら車の廻るように転びゆき、果てしなき所謂(いわゆる)六道輪廻を繰り返しつつ、大悟徹底するまでは迷いの世界から抜け出せません。
これは誰のせいでもなく、己の妄執からくるものなのです。仏教の根本的な考え方は、自分の迷いがその根本にあるとするところです。
 不平と愚痴の暗愚の世界からは、いかにジタバタしても所詮助かる見込みはありません。心眼に燈(もとしび)を点ぜざれば、いつの世にか生死流転の闇路の苦悩から脱することができないのです。
実に情けない我々迷妄凡夫の生活なのです。

<解説>

 六趣(「地獄」、「餓鬼」、「畜生」、「修羅」、「人間」、「天上」)輪廻の因縁
から、凡夫(私たち)は、容易には抜け出すことはできないようです。
 禅の世界の興味深いところは、大悟(大いに悟る)解脱(安らかで自由な悟りの境地)しても、その境地に落ち着くのではないとするところです。実際、白隠禅師も〔生涯に大悟すること13度、小悟すること数知れず・・・〕と紹介され、大したものだというのです。
どうやら、白隠禅師でも六趣輪廻の因縁から抜けでせていないということです。人間死ぬまで修行をし続けろということのようです。〜以下次回〜(徳忍記)

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