《良書で学ぶ!》〔白隠禅師座禅和讃〕(第八講)

【徳忍学習帳】で一節ずつ、原田先生の講義で学び、読み込み、
徳忍が感想を添えます。

書名

〔白隠禅師座禅讃講話〕
〜白隠禅師座禅和讃〜

《第八講》

〜本文

《これまでの文》

衆生本来佛なり(しゅじょうほんらいほとけなり)水と氷の如くにて(みずとこおりとごとくにて)
水を離れて氷なく(みずをはなれてこおりなく)衆生の外に佛なし(しゅじょうのほかにほとけなし)
衆生近きを知らずして(しゅじょうちかきをしらずして)遠く求むるはかなさよ(とおくもとむるはかなさよ)
譬えば水の中にいて(たとえばみずのなかにいて)渇を叫ぶが如くなり(かつをさけぶがごとくなり)
長者の家のことなりて(ちょうじゃのいえのことなりて)貧里に迷うに異ならず(ひんりにまようにことならず)
六趣輪廻の因縁は(ろくしゅりんねのいんねんは)己が愚痴の闇路なり(おのれがぐちのやみじなり)
闇路に闇路を踏み添えて(やみじにやみじをふみそえて)いつか生死を離るべき(いちかしょうじをはなるべき)

《本日の文節》

それ摩訶衍の禅定は(それまかえんのぜんじょうは)
称嘆するに余りあり(しょうたんするにあまりあり)

<講義>

 ここから“節”が変わります。一切佛法と坐禅の功徳が説かれます。
摩訶衍(マカエン)とは、梵語(サンスクリット)を漢字に当てはめたもので、訳せば「大乗」という意味になります。一概に禅と云っても五種類の禅があります。
「外道禅」、「凡夫禅」、「小乗禅」、「大乗禅」、「最上乗禅」の五段階です。
摩訶衍(マカエン)の禅ですから、まさに称嘆するに余りある訳です。 

<解説>

禅に五段階あるという考え方は、新鮮です。本来、坐禅は「成仏」が目的の筈ですが、禅の修行をすることで、各種の功徳(報い)があります。中間的な功徳で満足して修行を怠ると<六趣輪廻の因縁>に陥ることになるわけです。
次から、功徳の数々の話しに移ります。

〜以下次回〜(徳忍記)

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