《良書で学ぶ!》〔白隠禅師座禅讃講話〕⑿

【徳忍学習帳】で一節ずつ、原田先生の講義で学び、読み込み、
徳忍が感想を添えます。

書名
〔白隠禅師座禅讃講話〕⑿
〜白隠禅師座禅和讃〜

原田 祖岳 著大蔵出版<600円>

正宗国師座禅讃(しょうじゅうこくしざぜんさん)
《全文》 
衆生本来佛なり(しゅじょうほんらいほとけなり)水と氷の如くにて(みずとこおりとごとくにて)
水を離れて氷なく(みずをはなれてこおりなく)衆生の外に佛なし(しゅじょうのほかにほとけなし)
衆生近きを知らずして(しゅじょうちかきをしらずして)遠く求むるはかなさよ(とおくもとむるはかなさよ)
譬えば水の中にいて(たとえばみずのなかにいて)渇を叫ぶが如くなり(かつを)さけぶがごとくなり)
長者の家のことなりて(ちょうじゃのいえのことなりて)貧里に迷うに異ならず(ひんりにまようにことななず)
六趣輪廻の因縁は(ろくしゅりんねのいんねんは)己が愚痴の闇路なり(おのれがぐちのやみじなり)
闇路に闇路を踏み添えて(やみじにやみじをふみそえて)いつか生死を離るべき(いちかしょうじをはなるべき)
それ摩訶衍の禅定は(それまかえんのぜんじょうは)称嘆するに余りあり(しょうたんするにあまりあり)
布施や持戒の諸波羅蜜(ふせやじかいのしょはらみち)念仏懺悔修行等(ねんぶつざんげしゅぎょうとう)
その品多き諸善行(そのしなおおきしょぜんぎょう)皆この中に帰するなり(みなこのなかにきするなり)
一坐の功をなす人も(いちざのこうをなすひとも)積みし無量の罪ほろぶ(つみしむりょうのつみほろぶ)
悪趣いずくにありぬべき(あくしゅいずくにありぬべき)浄土すなわち遠からず(じょうどすなわちとうからず)
辱くもこの法を(かなじけなくもこののりを)ひとたび耳にふるるとき(ほとたびみみにふるるとき)
讃歎随喜する人は(さんだんずいきするひとは)福を得ること限り無し(ふくをうることかぎりなし)
況んや自ら回向して(いわんやみずからえこうして)直に自性を証すれば(じきにじしょうをしょうずれは)
自性即ち無性にて(じしょうすなわちむしょうにて)すでに戯論を離れたり(すでにけろんをはなれたり)
因果一如の門ひらけ(いんがいちじょのもんひらけ)無二遣亦無三の道直し(むにむさんのみちなおし)
無相の相を相として(むそうのそうをそうとして)行くも帰るも他所ならず(いくもかえるをよそならず)
無念の念を念として(むねんのねんをねんとして)謡うも舞うも法の声(うとうもまうものりのこえ)
三昧無礙の空ひろく(さんまいむげのそらひろく)四智円明の月さえん(しちえんみょうのつきさえん)
此の時何をか求むべき(このときなにおかもとむべき)寂滅現前する故に(じゃくめつげんぜんするゆえに)
当処即ち蓮華国(とうしょすなわちれんじこく)此の身即ち佛なり(このみすなわちほとけなり)
《本日の学習箇所》
辱くもこの法を(かなじけなくもこののりを)
ひとたび耳にふるるとき(ほとたびみみにふるるとき)
讃歎随喜する人は(さんたんずいきするひとは)
福を得ること限り無し(ふくをうることかぎりなし)

《講話》

マカエンの大禅定(宗教的大精神)をひとたび耳にし、これを信頼し、これを讃歎し(佛の徳を讃え)、これに随喜する(心から有り難いと喜ぶ)人は、無上無限の福報を受けます。
精神的にも、肉体的にもです。

《解説》

マカエンの大禅定とは、釈尊(お釈迦様)の悟道(悟りの道)であり、教えです。
マカエンの大禅定は、五種の禅(外道禅、凡夫禅、小乗禅、大乗禅、最上乗禅)
の最上乗禅の精神領域の悟りを意味します。
それが耳に届いたと、ひとたび感じ取れたら、讃歎随喜するでありましょう。
その幸福感は、如何ばかりでしょうか。精神的のみならず、肉体的にも
幸福感は満ちあふれるでありましょう。

(徳忍記す)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加