《村上徳忍のエッセイ・シリーズ⑨》

[くれぐれも“脱サラ”すべからず!!]

(9)純日本版の〔レイバ−スケジューリグ・システム〕の確立!

1990年(平成2年)4月にイオン(当時は、ジャスコ)・グループのスーパーマーケット、ウエルマート(現在のマックスバリュ西日本)が社内に「作業改善プロジェクト・チーム」を発足させて、その方法論として〔レイバ−スケジューリグ・システム〕を導入確立することになり、その指導を私が担当することになった。

同社は創業以来、年中無休・長時間営業を武器に150坪型小型SMを展開していた。しかし、近年外的・内的環境の変化が進み、150坪型SMが対応して生き抜いていくには、非常な困難が待ち構えているという危機感があった。

<外的環境の変化>
* 大店法の緩和・・・競合の激化
* 労基法の改正・・・時短を迫られる
* 労働力の逼迫・・・賃金の上昇

<内的環境の変化>
* 多店舗化はしたけれど・・・
①. 徹底力の低下
②. 人材の不足
③. 店舗作業のばらつき
④. 本部と店舗の乖離

<外的環境の変化>に対処するためには、[人時生産性の向上]が急務であった。
一方、<内的環境の変化>に対処するためには、新たな考えがたと方法論を導入して、根本的な解決を図る必要性はあった。
この社内的な検討を続けしいた時期に、同社のトップ層が商業界主催の私の〔スーパーマーケットのレイバースケジューリング経営実務セミナー〕を受講し、併せて私の著書を読む中で、レイバースケジューリングという考え方と実務を導入して生産性の抜本的な向上を目指そうと考えるに至ったのである。

ある日、川崎進一先生(当時東洋大学名誉教授、リテイリングセンター顧問〜故人〜)がお一人で、要町(池袋)のムラカミ研究室に来られた。私にとって初めての研究室(オフィス)への初のVIP客である。
先生は応接セットにつくと「先生にお願いがあります。」と話しを切り出した。
川崎先生には、以前、私が企業の教育課スタッフ、課長時代に店長研修等でお世話になった敬愛する流通業での師と仰ぐ方である。その方にこのような言葉の掛け方をされたので戸惑い、恐縮しきりであった。
お話しの内容は、川崎先生が指導しているSM企業での〔チェーンオペレーション体制の構築〕に力を貸して欲しいと云うことであった。これは、少し微妙な話しである。何故ならば、川崎先生はリテイリングセンターの関係者であり、リテイリングセンターはSM企業の〔チェーンオペレーション体制の構築〕を啓蒙している当時唯一の団体であった。その企業もそこの研修、指導を度々受けていたのだ。「今回の件は、実務の取り組み(レイバースケジューリングの導入、確立)なので村上先生しか出来ないことであり、先生にお願いすべきだと考えました。」と状況を説明された。
やっと、話しが見えてきた。何故、川崎先生がお一人でわざわざ来られたのか。川崎先生がご自身の判断で(全責任をもって)このプロジェクトを進めることを指導したということだ。リテイリングセンターからウエルマート(イオン)に“雑音”が入らないようにするための川崎先生流の配慮だったのだ。

これは私に取っては、チャンスではあったが、相当に責任が重いプロジェクトであった。「お受けします。」とお答えすることは、「成功させます。」という川崎先生との約束とすることになる訳である。先生の信頼を絶対裏切らないという決意をもって要請をお受けした。
後日、再度川崎先生が付き添ってウエルマートの営業本部長(S専務〜当時〜)とプロジェクトの担当(安達部長)がムラカミ研究室(オフィス)へ来られた。川崎先生は紹介だけ済ますと階下の喫茶店へ去った。
後は、三者で基本的な確認と打ち合わせをした。こうして、日本で初めての本格的な〔レイバースケジューリングの導入・確立〕プロジェクトがスタートした。

◎ 導入過程(ステップ)

多くの企業の場合、この種の革新的な考え方の方法論の導入に於いては、会社(経営トップ、幹部層)としての意思統一が難しく、不統一のままで取り組まれることが多い。導入の過程で意思統一を図っていこうとする。これは不可能ではないであろうが、かなり難しい。
その点、今回のケースは“完全に意思統一された体制”でスタート出来た希有(けう)な例である。

(1) レイバースケジューリング・マインドの啓蒙

拙著〔レイバースケジューリング原理〕を店長、スタッフ、バイヤー、幹部社員(営業本部長専務まで)読ませて、その内容の理解度テスト(1時間余りの分量)を全員に受けさせて80点取るまで何回でも繰り返させた。営業本部長も率先して理解度テストを皆と受け、2回目で合格して見せた。中には6回も受け直した者もいたが、全員合格して“レイバースケジューリングとは何か”を共有化した。

(2) 業務、作業の標準化(基順書の作成)

チェーンストアの店舗運営の基本的なテーマ(レイバースケジューリングのテーマ)は、各店の使用人時をコントロールすることである。では、各店の使用する人時は何できまるのか? それは、各店で実施される業務、作業で決まる。
科学的店舗運営の技術〔レイバースケジューリング〕の基本的な考え方の一つに、
《人に仕事(業務、作業)を割り振るのではなく、仕事(業務、作業)に人を(人時単位で)割り当てる!》という根本的なルールがある。
店舗の業務、作業が標準化されれば、個々の業務、作業の必要人時が確定されて、各部門ひいては店舗トータルの人時コントロールが可能となるという科学的な考え方である。
ウエルマートは、他のSMチェーンにはない人時コントロール上の好条件を具備していた。全店舗150坪でほぼ同一のレイアウトであったのである。
つまり、理論的には、全店ほぼ同一の業務、作業で回せる筈である。しかし、実際は、各店は、売上高が異なるだけの筈なのに、行っている業務、作業の中身も手順、段取りもまちまちであった。

[標準化]という考えが、当時の日本の小売業界は、認知されていなかった。当時、現場実務では、“画一化”より“個別化(要はバラバラ)”が、尊ばれた時代でもあった。

※ 「画一化」と「標準化」の違いは、大きい(全く異なる概念である)。「標準化」とは、企業が政策として設定した今考えられるベストな“やり方”を設定することである。企業の政策目的が“ローコスト・オペレーション”があれば、作業のやる方も変わるし、一部の作業がなくなったりする。ある部門がパートタイマーだけて運営することを目指すならば、作業の単純化が必要になるかもしれない。「標準化」に取り組むということは、そういう行為なのである。こういう理解を徹底することも大変な努力を要する。

標準化の実務的なツールとして〔店舗運営の基順書〕が作成された。この作成の過程でどれだけの改善、革新がなされるか、それらが実務の現場で如何に徹底実施されるかが勝負であった。
また、標準化という考え方は、本部各部門(主幹部門)の“不断の改善姿勢”が重要となる。「徹底」と「不断の改善(変更、変化)」を企業として“体質化”出来るかが問われる。 

(3) 仕上げとしての〔人時コントロールの展開〕

人時コントロールとは、各店の人時を(人時を通じて人件費を)年度予算内にコントロールして、年度の人時生産性目標を達成していこうとする仕組みづくりの取り組みである。
先行した業務、作業の標準化の取り組みとそれに伴う各種の改善(一部は、革新)を背景に、人時コントロールの仕組みを導入するステップまでこぎ着けた。

①. 全社年間営業予算策定
②. 全社年度人時生産性目標を設定
③. 店別年間営業予算の振り分け
④. 店別年度人時生産性目標を設定
⑤. 各店年間人時目標を算定 ※1
⑥. 各店人時売上高基準を算定 ※2
⑦. 各店月度売上高予算設定
⑧. 各店人時目標枠の設定 ※3

※ 1 年間人時目標=年間荒利益高予算÷人時生産性目標
※ 2 人時売上高基準=年間売上高予算÷年間人時目標
※ 3 月度人時目標=月度売上高予算÷人時売上高基準

この最終ステップでは、各店現場で問題状況が一斉に噴き出す。
* 売場に予定通りの時刻に、商品がならばない
* 人手が足りない
* 特定部門の売上高が激減している
* 問題意識の旺盛な店長が、店長会議等で「お客さまを犠牲にして、何か改革か!?」と問題提起したとか
ブロジェクト担当部長に対して、商品部系からの問題提起、苦情は激しかったと思う。
一番、矢面に立たされたのは、営業本部長である。イオン・グループ(当時は、ジャスコ・グループ)企業として、失敗は許されないからである。
しかし、初期と混乱を乗り切ると、効果が表面化してきた。表面化とは、生産性指標の飛躍的な改善である。

1990年(平成2年)に取り組みを開始した訳であるが、1988年(昭和63年)に1店当たりの総労働時間が5000時間であったのが、1991年(平成3年)には4399時間、1992年(平成4年)上期には4181時間に大幅に改善された。
また、人時生産性(人時売上高)は、1988年(昭和63年)に2430円(11346円)であったものが、1991年(平成3年)には、3152円(14537円)に、1992年(平成4年)上期には、3296円(15343円)に改善されて、優良SMチェーンの一角に名を連ねるまでになった。

◎ 日本で初めて〔レイバ−スケジューリグ・システム〕の導入確立に成功した実務事例を示せた!

この成功には、多くの要因がある。
①. 川崎進一先生の目に見えない後押し
ウエルマートは、不退転の決意で全社的な取り組み姿勢を崩さなかったのは、経営者の見識の背景として川崎先生の存在が大きかった。
②. ウエルマートの店舗が、全店150坪タイプであったこと
こんなケースは、他でない好運であった。
③. 日本のスーパーマーケット業界で、最も優秀な人材の揃った企業(グループ)で取り組めたこと
経営者、プロジェクト責任者、スタッフの理解度と行動力が優れていたからこその成功である。

とにかく、私のコンサルタント人生を決定づけた取り組みであった。ゴルフ同様に、「・・たら」、「・・れば」を云ってもしょうがないが、川崎先生のこの機会の提供がなかったら、私の脱サラの本来の目的追求は、果たして実を結んだかは疑問である。またしても“縁”と“運”である。

後日談であるが、[商業界主催の箱根ゼミ]で一講師として参加した時のことである。会場のホテルのロビーで川崎進一先生と出くわした。その時ロビーのソファーにゼミの開催委員長であったイオンの(当時は、ジャスコ)の岡田卓也会長が坐っておられた。
川崎先生は、ちょうどいい機会であるから紹介しましょうとおっしゃって、岡田会長の前に腰を降ろした。川崎先生は、「この村上先生は、ウエルマートの指導をしてくれて、オペレーション体制を革新してSM企業としてトップ・クラスの生産性にしてくれました。」と岡田会長に過分な紹介をして下さった。
岡田会長は、にべもなく「あんな150坪SMの改善など“あだ花”です。」と応えられた。
その後、川崎先生の話題展開で妙で話しは盛り上がり、2時間近く話し込んだ。もっとも、殆ど私が喋らされていたのであるが。これを機に、岡田会長とは私から一方的にお手紙を出し、読んで頂ける希有な関係を続けさせて頂いている。
どうやら、岡田会長は私を川崎先生の教え子と思っておらえるようだ。似たようなものであるから訂正していない。 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加